話し手の視点から見る動詞の使用
———「テイク」「テクル」を中心に
要旨:周知のように、言語の話し手中心性が普遍的であるが、その内、日本語は特に話し手中心性の強い言語と言われている。その特徴があってこそ、視点という要素は日本語の表現とは深く関わっており、認知言語学の領域でも注目されている。本論文では、補助動詞としての「てくる」「ていく」を通し、多くの実用例を取り上げ、話し手の視点とはどのようにかかわっているのか、その一端を見てみることにしたい。
キーワード:事態把握、主観性、視点、方向性、人称制約、アスペクト
話し手の視点と述語の種類との関係と言うと、すぐ思い浮かぶものに「あげる」「もらう」「くれる」などの授受動詞や方向性を持つ「来る」と「行く」の移動動詞がある。話し手の視点が動詞を規定するのは、授受動詞と「来る」「行く」の場合しかないわけではない。具体的な移動、抽象的な移動を含め、方向性を持つ動詞には一般に視点による一定の制約があるのである。しかし、日本語の教科書では、その観点から取り上げることがほとんどない。実際の使用にも、視点という要素を考えず不自然な文を作り、誤解を招いてしまうことが少なくない。そこで、「ていく」と「てくる」を中心に、以上の問題点を分析してみたい。
現代日本語の視点と「ていく」「てくる」に関する研究は大量存在しており、特に2000年以来、渡邊誠治(2001)・下地早智子(2004)・山本裕子(2007)・彭広陸(2008)などをはじめ、かなり優れた研究結果を収めたと考えられる。単に視点論から見ると、日本語の移動動詞文には「共感度視点」と「参照点視点」の二つの視点の関与が認められると古賀悠太郎(2012)が指摘している。共感度視点・参照点視点の関与の強弱によると、あらゆる移動の事態を「話し手自身の移動/話し手の現在位置への移動」・「話し手側に属する場所への移動」・「未来/過去における話し手位置への移動」・「話し手の現在位置への移動(の一部)など」大きく四つに分類された。
また、下地早智子(2004)の考えによると、移動動詞を選ぶ場合、日本語では移動時の到達点に話し手がいるときはその到達点に、そして移動動詞を主動詞とする文が伝達動詞に埋め込まれているときは、主節の主語である伝達者に視点が移行し、そこを基準に移動動詞が選ばれる。ところが、古賀悠太郎(2012)も下地早智子(2004)も具体的な移動動詞文に関与する視点しか述べていない、抽象的な移動がほとんど含まれていない。
そして、牧内勝(1979)、渡辺誠治(2001)、内山潤(2001)などが「てくる」「ていく」のアスペクト性の問題を中心に、補助動詞の文法構造を厳密に検討した。とはいえ、「てくる」「ていく」の方向性についての研究は十分であると思われない。
一方、中国側に至っては、謝文儀(2008)は大江(1975)、久野(1978)、森田(2006)などの研究に基づき、「視点制約」「視点の一貫性」という概念から、本動詞の「来る」「行く」と比べ、補助動詞としての「ていく」「てくる」の意味・用法を分析した。
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